透過色の小夜曲セレナーデ

アナログ目覚ましの短針が5を示す。ベルが鳴るまで、あと1時間。
2人分の体温に温まったベッド。
オレの腕の中、ゴソゴソと小さく身動く彼。もう、目が覚めたのか。
彼はいつものように、オレを起こさぬよう気を払いながら 腕から抜け出そうとする。腕に少し力を込めてみたが、気付かれてはいないのか、寝惚けていると思われただけなのか。
せっかく温まっていた布団に ひんやりとした空気が流れ込む。間もなく、ついさっきまで抱いていた温もりはベッドから消えた。
オレには彼ほどの聴力はないけれど、この部屋の物音ぐらいは聞き分けられる。
ベッドの下に脱ぎ捨てられた2人分の衣服を拾う音。彼の服を着る音。オレの服を畳む音。
メモ帳の一枚を破る音、ペンのキャップを外す音。
カーテン越しの朝焼けの光を頼りに、オレへの置手紙を記す音…。
それはいつも3行程度の短い綴りではあるが、オレの数少ない和みの一つだ。
 
 
 
オレ達は、朝まで一緒に過ごした事はなかったな。
お前は遠く目的のために、いつも抜け出していく。
腕の中に残るのは、切ない刹那の幻としか思わせぬほどの 微かな名残だけ。
 
 
 
 
 
 
 
『眼が 緋くなると
     いつも あの忌まわしい過去が 蘇るんだ』

 
 
愛撫の途中、必ず閉じてしまうのは彼のクセ。
不安も顕に、必要以上に構ってしまうのはオレのクセ。
  「眼、開けろよ」
  「眼、開けて こっち見ろ」
────オレは、
だってオレは お前のコトだけを考えてる。今。
 
 
『何事にも先立つ目的がある』
 
 
夢見心地のシアワセを逃がしたくなくて、行為の後もオレは彼を離さない。
背に回した腕に  密着させた胸に  絡めた足に  肌から肌へ伝う温もり。
幻なんかじゃない 確かな温もり。
 
 
『怒りを、この決意を再確認するには好都合だがな。』
 
 
時間通りの目覚ましベルを素早く止めて。
腕の中で未だ寝顔のお姫サマを、淡いキスで目覚めさせる。
そんな朝を迎えてみたいと、それは大それた望みだろうか。
 
 
『眼が 緋くなると
     いつも 記憶が蘇る』
 
『いつも 悲しくなる 悔しくなる』

 
 
どこか遠くを見つめるような
どこか遠くを想うような
表情。オレは問いたくて堪らないのだ。
「なぁ…今、何 考えてる?」
ようやく声になる頃、腕の中からは規則正しい寝息が聞こえていた。
 
 
『眼が 緋くなると
     いつも あの忌まわしい過去が 蘇るんだ』

 
 
オレの腕の中で
オレを受け入れながら
彼は 記憶媒体の瞳を 緋く染めた。
 
その緋い視界の中に、オレは居るのだろうか。
 
 
『眼が 緋くなると…
 
 
 
 
 
 
 
どうせ刹那刹那の幻にすぎないとしても
…せめて、せめて 朝を告げるベルが鳴るまでの夢でいい。
その瞳、その心、ほんの一握りでいい。ほんの一欠片でいい。だから…
 
 
 
パタンと扉の閉じる音。渡してやった合鍵の音。
コツコツと足音の遠く聞こえなくなる頃、オレは未だ鳴らない目覚ましを止めた。5時半か。
ベッドを降り ズボンだけを身に付けて、残された手紙を手に取ってみる。
作ってやった晩飯への賛辞、受験勉強への激励。『また会おう』の一言に、オレは短く安堵する。
 
 
幸せそうな顔に見えた。
安らかな寝息に聞こえた。
2人分の体温に温まったベッド。
オレの腕。体、心。
全部、お前にやるから。だから、…