浄めずの涙

この閑散とした荒地が奴の永眠の地だと、私だけが知る。
奴について知っているコトなんか、ほんの少しだ。ウボォーギンという名前と、獣じみた声、荒い性格の多少
…殴った拳に残る硬い肉の感触、神経を逆撫でする鈍い音、飛び散った血の臭い、その赤さ…。


昔の記憶。
   同胞が為 いくつもの墓を掘った幼い手は、泥ですっかり汚れてしまった。
だから、今日はシャベルを持って来たのだ。
   奴の墓を掘るこの手が、汚れずに済むように。




…だけど。
  墓を掘った この手の汚れ、こびり付いて離れない記憶。
  その執拗さに勝るのは、果たしてどちらか。










熱いシャワーを全身に浴びる。
勢いよく体に叩き付けられる雫が心地よい。
レオリオの自宅のシャワーを借りるのは何度目だったか。コックを捻り浴室を出て、乾いたタオルで体の水分を拭う。そして寝間着代わりにとレオリオに借りたシャツとズボンを身に付けて…鏡に映った あまりに不恰好な自分に脱力した。
サイズの違いがどうにもならない。特にズボンは胴回りがゴム使用だから、ベルトで締めるコトすら出来ずズルズルとだらしなく下がってしまう。
…仕方ない。
「お、おいっクラピカ!?」
バスルームを出た私を見て、レオリオは目を丸くした。
「ズボン…どうしたよ。」
「あぁ、サイズが あまりにも合わなくて」
結局 穿かなかったズボンを、礼と共にレオリオに返す。
なんら困る事はない。大きすぎるシャツの丈は私の膝のあたりまで届くし、体を覆うには十分だ。
「…ジロジロ眺めるな」
「いや、なんか…アブネー格好だなーと…」
「バカ言うと もう手伝わないぞ、受験勉強」
慌てて弁解を始める彼を無視し、持参の小型バッグを手に取る。レオリオの家で一泊するために 最低限必要な小道具を詰めたものだ。
「なぁ、クラピカぁー…本当ゴメンって。お前が風呂出たらホラ、この問題 聞きたくて…」
「…分かってる。教えるから、少し待ってくれ」
情けない表情のレオリオに苦笑しながら、愛用の緑色の目薬を取り出しキャップを外した。
「疲れ目か?」
「いや、乾き目。毎日差さないと、目が痛くて」
「ふーん…。ハンター試験の頃は使ってなかったよな、目薬なんて」
「そうだったかな。…いつからだっけ」
左右の目に滴眼する。慣れた行為のハズなのだが、ふと手元が狂った。
つぅっと、冷たい雫が頬を流れる。
「ハハ、なんか涙みてぇ。可愛いのな」
横目に睨みつけて、頬を手の甲でこする。
“乾き目”とは、つまり涙の足りない目のことだけど。
目薬なんて常備する習慣が出来たのは いつからだっけ。

…いつからだっけ─────





いくつもの墓を掘った、幼い手。泥ですっかり汚れた手。
溢れる涙。なみだ、ナミダ。
緋い視界は滲んでボヤけ、そこで記憶はプツリと切れる。


奴の墓を掘ったのはシャベル。
ただ疲労の感だけが溢れた。
両の手が赤く汚れて見えるのは、瞳の緋の名残だろうと
                   ──────── そう自分に思い込ませた気がする。

風を受けた眼が、乾いて痛んだ。





「…コンタクトレンズを使うようになったから、かもしれないな。眼が、乾くようになったのは」
小さく嘯いて、目薬をケースに戻した。
椅子に腰掛けて勉強机に向かうレオリオに 急かされるまま、私は彼の肩越しに、机に広げられた問題冊子を覗き込んだ。
「問3の(2)と(3)なんだけどよ…ホラ、こうして、こうして…で、ココから先に進めなくなっちまう」
「その公式は、使えそうで使えないな。…典型的な引っ掛け問題じゃないか?もっと基本的な関係式を展開していけば…」
白いノートに赤文字を書き込んでゆくと、おお~と感嘆の声が上がる。…そんなレベルで果たして受験は大丈夫なのか。思わず、溜め息をつく。
「おいおい、不安そうな顔すんなよ~」
「不安に決まってるだろ、こんな問題も分からずに。…合格できる事を祈るのみだな」
「任せとけって。オレって、本番には強いんだぜ?」
そうして彼は続ける。大学はただの通過点、目標はあくまでその先なのだと。
澄んだ未来(さき)を見据えるのは、真っ直ぐな笑み。
私も、出来る限り似せた笑顔を作ってみた。



羨望など抱きはしない。私には私の目標がある。
未来をその義務のために費やす事は、間違った行為ではない。
奴は…ウボォーギンは報復を受けただけ。そして私は、義務を果たしただけ。
後悔はない。ただ。
ただ、この手に…この身に染み込んだ赤が、煩わしくて。



笑みも涙も失ったのは。
全身を汚す赤の呪いかもしれないと、少しだけ思う。
後悔はないけれど。

「…やっぱさ、アブネー格好だよ。ンな油断した顔してっと、襲いたくなる」
頭を軽く叩いてやろうとして、その右手首を掴まれた。
「だってよ…お前、キレイだから」

…後悔はないけれど。
ふと あの どす黒い赤の幻が両の手に蘇るとき
ただ、この全身を なんとも汚らしく感じるのだ。


「─── どこが、綺麗なんだ?」
彼は少し意外そうな顔を見せたが、やがてゆっくりと私の右手を撫で始めた。
「そうだな、例えば…」
細長い指とか。桜外の爪とか。艶のある蜂蜜色の髪とか。
大きめの瞳や、その色とか。
口ずさむようなセリフの間に、彼の胸板は私の視界を塞いでいて。
「それから、形のいい唇とか…」
私の口元を、無骨な指が左から右へなぞり。彼の顔が近付いた。
薄く唇を開くと、彼の舌に探られる。歯列をなぞられ、何度か吸い上げられて…
「…はっ……」
息が微熱を帯びる頃、そっと解放された。
「クラピカ、このまま……イイか?」
「…勉強は?」
「お前のおかげで、今日は効率100倍だったからさ。少しぐらいサボっても支障ねーよ」
「勿体ないぞ。せっかく私が来ている時間を勉強のために有効活用しないなんて」
「せっかくお前が来てンのに イタズラの一つもしねぇで返すなんざ、それこそ勿体ねーだろ?」
耳朶を甘噛みされて、甘い痺れに瞼が震える。
「イイだろ? …少しぐらい弄らせろよ」
耳元で響く低い声が、じんわりと体に染み込んでゆく。
彼の指が、覆う布のない下肢へと移動した。服もそのままに私の呼吸が乱れきってしまうまでに、時間は さほどかからなかった。






閑散とした荒地に奴は永眠している。


当然の事をしたのだ
奴は報復を受けただけ
私は義務を果たしただけ

ただ、煩わしくて。
同胞の墓を素手で掘った、その手の汚れは涙がすっかり洗い流してくれたけれど
今は涙も涸れ果てて 奴を殺した手のひらは洗い流す術もない。
あかく あかく 汚い手。







「ん── ぅ…」
うつ伏せの姿勢で腰を高く抱えられ、奥まった部分を慣らされる。いつも用いるローションではなく、彼の舌で…だ。
「は、あッ……あ」
キスの要領で、舌が挿れられる。体積では指にも劣るハズだが、その柔らかく湿った感触はあまりに絶妙で…シーツに額を擦り付けて、なんとか耐え忍んだ。久しい行為だからだろうか、十分すぎるほどの時間が費やされた。
そうして、ギリギリ触れそうな位置まで離れた唇の。
「クラピカ…お前、ココもキレイだよな」
吐息がかかり 声の微妙な振動が伝わって、否応なしに体が疼く。
優しい大きな手のひらが、私を仰向けにして…
             ──── 最奥に、彼を感じた。
「くっ…んん─────…ッ」
長い長い愛撫のおかげで激しい痛みはなかったものの、圧迫感は凄まじい。
そのまま繰り返される深い抽挿に 頭がクラクラして、もう床と天井の区別も付かなかった。
手で触れられた部分の肌が順々に熱を帯びて、熱くて熱くて苦しくて。
耐え切れず頬を伝ったのは懐かしい感覚。涙だ。感情とは無関係な、極めて生理的な───






墓を掘った手。
同胞のための墓を掘った手。
粘土の赤土は 粘着き こびり付いて
爪の奥まで侵していた。


墓を掘ったシャベル。
奴を葬り去った手。
粘着き こびり付き 爪の奥まで侵す赤
土もないのに何が為。








私を抱きしめる腕の中から、そっと抜け出す。起こさないように気を付けながら、ベッドを降りる。
シャツを脱ぐ。彼のシャツ。
顕になったカラダを、今度は私の服で隠す。
キレイな彼の腕や布に覆われて隠されて、何度も何度もキレイだと囁きを受けて
カタルシスに酔い痴れた一晩は、とても心地良かった。


涙の泉は涸れ果てて
乾涸びた底から沸き上がるのは

空虚に乾いた この現実のカケラ。



せめて、洗い流す(もの)があれば良かった。



静かに扉を開く。外の世界が現実の世界が、ここからまた開かれるのだ。
「また来るよ。その頃には、多少は目標に近付いてるといいな」
“お互いに”…そう付け加えようとして、ヤメた。