右に闇、左に闇、上にも下にも闇、
黒に内包されるかのように私は独り立っていた。
眼前には二つの扉。それらは互いに、自分が唯一の存在であると主張するかのようにギラギラと白光を放っていた。

どこからか現れた老女は、言うまでもなく時の魔導師だ。
二つの扉を指し示し、老女は淡々と説明を始める。

『左の扉を開いた先には、貴方の元いた運命の世界があります』

つまり、それを開けば私は元の世界に戻れるわけだ。
左の扉が、自分を選ぶのが正解なのだと弁ずるように白光を強める。

では、右は?

『右の扉を開いた先には、異なる運命の世界があります』

右の扉がこれ見よがしに強めた白光の中に、ゆらゆらと人影が揺れた。その影は見覚えのある憎い形を作る。

『右の扉の世界には、幻影旅団は存在しません…』

影はゆらゆら揺れて、徐に消滅した。
奴等がいない。では私は、我々クルタ族は穏やかに暮らしているというのか。
そんな都合の良いことが。

『ただし、その世界には』

再び、右の光の中に影が現れる。それは見覚えのある(あの馬鹿な男の)形を作った。

『その世界には、彼も存在しません』

影はゆらゆら揺れて、先ほどと全く同様に跡形もなく消えていった。
ああ、やはり都合の良い運命など在りはしないと。

扉は相変わらず競うように光を放ちながら、私の選択を待望していた。










――――― 左の扉を選んだ、わけではない。
だが左の扉の先にあったであろう世界に、私は舞い戻っていた。当然と言えば当然だ。右の扉は幻でしかないのだから。
真夜中に目覚めてしまったにも関わらず、眠気はそれほど感じなかった。夢の中とはいえ真に思考を巡らせていたためか、動悸が激しい。右か、左か。結局私は決断できないまま、意思とは無関係にこの現実へ引き戻されてしまったのだが。
(…決断できなかった)
私は決断せねばならなかった。迷いは人を弱くする。
例え夢の中であっても非現実な選択であってもそれは変わらない。迷いのない決断は強さだ。
これまでも様々な岐路で、私は決断を繰り返してきた。一種の賭けに似た決断も多々あったが、迷うことはなかった。己にとって最優先にすべき事項さえ明確であれば答えは定まる。迷う余地などない。
…それなのに。


―――― クラ…ピカ……」

不意に聞こえた声に一瞬体を強張らせる。傍らを見ればなんとも間の抜けた面構え。なんだ、寝言か。
しかし目を閉じればあの扉に取り込まれてしまいそうな今は、この戯けた顔も悪くない。私の視界を飽きさせない顔。腑抜けでしまりなく黒を忘れさせる顔。やけに脈打つ心臓を落ち着かせる顔。…これは少し癪だが。
むにゃむにゃと間抜けに口を動かすさまを見ながらふと思う。私が右の扉を開けば、彼は世界から(私の世界から)失われていたのだと。
…果たして大きな存在だろうか。クルタ族の同胞と共に穏やかな日々を暮らす、その清福な右扉を選ぶことを躊躇するほどに?

(………『レオリオ』)

胸の内で彼の名を独り言ちた。心の声は空気を震わせることはなく、ただ私の意識のどこかに埋没するだけだ。
と思っていた。
その瞬間緩やかに開き出した瞳は、いささかの驚きを隠せない私の顔を映していた。偶然の重なりは不思議と甘美だ。この瞬間は彼の運が良かったのか、それとも私の運が良かったのか(或いは悪かったのか)。

「…どーした。寝れねぇの?」
「…いや。たまたま目が覚めただけだ」
「眠そうな顔してねーじゃん……」

レオリオは多少眠たげながら、慣れた動作で私を腕の中に囲おうとする。
大人しく包まれた私の耳元で、「悪い夢でも見たんだろ」と言葉。
偽証は好かない。しかし正直に答えたい質問でもない。よってそこにある結論は沈黙。
特に珍しくもない私のそれを受け取って、レオリオはその腕の慈しみを一層強めた。甘ったるい空間も、今は特に苦手ではない。

「俺がこうしてるから」
ああ。
「側にいるから」
そうだな。

「もう悪い夢なんか見ねーって」

…悪い夢か。
もしお前のこの腕が存在しなければあれは悪夢にならない。私は右の扉を選べば良いだけだから。
言うなれば、お前の存在そのものが甘美な悪夢だ。

『お前は、私を失う代わりにお前の友人を生き返らせる方法があるとしたら、どうする』

心に浮かんだ問いは、喉に触れることすらなかった。質問自体はあまりにも空想的で無意味であったし、彼を怒らせる気にもなれなかったからだ。

偶然はいくつも折り重なる。彼と出会ったことも、彼とこうしてプライベートに過ぎる関係を築くことになったことも、全ては瞬間の運が形作る運命だ。そしてこれからも。
私が四年間志してきた目的とそして彼とが、二者択一にならない運命を私は祈る。