「思い出したんだな、クラピカ」

声を掛けると、クラピカはハッと眼を見開き、イズナビを見上げた。

「今、オレのこと、見えてなかったろ」

クラピカは答えず、ただ眼を見開いてイズナビを見続ける。
その驚愕の表情に、徐々に怯えの色が滲んでいった。
……強引に挿入ったままなのが怖いのだろうか?

「大丈夫だ、思い出したならもう動かしたりしねーよ。…抜くぞ、いいな」

ゆっくりと引き抜いてやると、クラピカは上半身を起こし、怯えたように後退る。

「クラピカ、どうしたん……」

濡れた頬に手を伸ばすと、触れる前に、クラピカはビクンと震えた。
それを見て、イズナビは大人しく手を引いた。
……記憶が戻ったショックで、かつてクラピカを襲った男とイズナビを混同しているのかもしれない。
落ち着くまで時間を置くしかないだろうと、イズナビ自身も後退り、一定の距離を取った。

距離を置いて改めて見ると、クラピカの姿は、まさに乱暴された子どもそのものだった。
裂かれたシャツ。胸元に散った痣。シーツに染みた鮮血。怯えた表情。
目を伏せたくなるような現実を前に、しかしそれで記憶を取り戻したのだからと、イズナビは目を逸らさずにクラピカを見つめる。
ふと、怯えた視線がそこに注がれていることに気付き、イズナビは自らのズボンを上げ、それを隠した。
視線はなお、布越しでも分かる猛りに注がれているが、こればかりは収めようとして収まるものではない。

クラピカがようやく口を開いたのは、その生理現象がなんとか収まった頃だった。

「…ここは、どこだ。 お前は……誰だ」







記憶喪失。 医学用語では、全生活史健忘。

記憶障害に陥った者に、ままあること。
記憶を取り戻した際に、記憶を失っていた間のことを、全て忘れてしまう。








「タイムスリップした気分だ」

与えられた服を着て、イズナビに状況を説明されると、クラピカはそう呟いた。
知らぬ間に成長した自らの腕や脚を、不思議そうに眺めている。

「三年以上も、貴方には随分と世話になったようだ。礼を言う」
「……すんなり信用して良いのか? オレはお前に、乱暴していたのに」
「貴方が信用できる人間だということぐらい、分かるつもりだ。それに、」

クラピカは改めて、確かめるように自分の身体を見つめた。

「抵抗した痕跡が一切ない。きっと私は貴方を、よほど信頼していたのだろう」

そうしてイズナビに向けられたのは、はにかむような、いとけない微笑。
イズナビは、そんなクラピカの表情を見るのは、初めてだった。




もう、夜も遅い。
ひとまず眠ろうと、いつも通り、別々の床に就く。
クラピカは、激変した自らの状況に緊張しながらも、しかし睡魔には勝てず、間もなく眠りについた。

イズナビは、クラピカをこの家に迎えて以来、初めての眠れぬ夜を過ごした。いつもは、寝付けない子どもを寝かせる役目だったのに。





翌朝、イズナビは、クラピカに最後の稽古を付けた。
正確には稽古ではなく、クラピカに教えた武術が今も身に付いたままであることの確認だ。

「鍛えて頂いたのだな。改めて礼を言う」

体が勝手に動くことに驚きながら、クラピカは動きを復習するように、双節棍を何度か振るう。

「この武器は、本当に頂いても良いのか」
「ああ。お前にやったものだ」
「何故、これほど よくしてくれたのだ」
「……親子みたいなものだったから、かな」
「…記憶を失っていた間、私はどう暮らしていた?」
「普通だよ。穏やかだったと思う」
「……そうか」

クラピカは寂しげに笑った。この先、自分の行く末に、“穏やか” という言葉などないと知っているかのように。

「……復讐に生きるつもりか」
「ああ。奪われた眼も、必ず取り返す。あの時は絶望のあまり何も考えられなかったが、今は逆に、それしか考えられない」

クラピカは思いを馳せるように、山の向こう、霞すらない透き通った青空の向こうを見つめた。

「正直を言うと、私は三年以上もの月日を無駄にしてしまったものと思っていた。だが、良い師に恵まれたようだ。それにあの時の私は死んだも同然だったのだから、三年で生き返られたのは、むしろ僥倖だ。……必ず、成し遂げて見せる」

彼方を見つめるクラピカの瞳は、イズナビの知るそれとは異なった。
冷たく、寂しく、そして熱く燃える瞳。

「なあ、一度だけ、抱き締めてもいいか?」

突然の言葉に、クラピカは意外そうにイズナビを見やる。

「お前にはタイムスリップだろうが、オレにしてみりゃ、突然の別れだった」

クラピカは、感情の読めないイズナビの微笑を、じっと見上げた。
自分を見上げるクラピカの瞳に拒絶の意がないことを確認して、イズナビはそっと、小さな身体を抱き締めた。

腕に包んで添い寝したり、ひょいと抱き上げたり、幼子をあやすように抱き締めたり、親子のようなスキンシップをたくさんした。
けれど今、初めて、愛しい人にするように腕に抱いた。
愛しい人は、もういないのに。

贖罪なんかじゃない、本当に大切だから止めたかったのだと、
側にいてほしかったのだと、
せめて伝えられたら良かった。

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Novel
本当は、これをもう少し丁寧に書いたものを実際のエピローグにする予定でしたが、
いろいろと心境の変化が…
'17.10.11