「あ…あっ────…」
滅多に聞けない声が上がった。
右胸の小さな飾りを二本の指で軽くはさみ、軽く揉むように擦る。敏感なそれは、指の間でスグに勃ち上がった。
挟んだままの そこへ舌先を伸ばして。何度か突付いた後、擦るように往復させる。
「ッ…んんっ……」
鼻にかかった甘い喘ぎを漏らし、逃げを打つ体。
オレを押し返そうと伸ばされる両手は、だが空しい抗いに終わる。
存分に鳴かせ。そしてようやく慣れ始めた頃に、今度は左胸に同じ責めを与える。
押し殺すように だんだん小さくなっていた声は、慣れないもう片方への疼きに再びハッキリと反応を示した。
無駄だと分かっているのだろうに、首を振り 身を捩る。
もともと どこもかしこも敏感なヤツだ。特にココだけが弱いワケじゃない。
ただ、この一点ばかりを じっくりと嬲ってやるのは 初めてだったから。
…下腹へ、ズボンの内側へ指を忍ばせる。
すらりと長い…滑らかな脚部の感触は。美しい声と引き換えに得た、人魚姫の素足を彷彿とさせた。




[北の海]

海にゐるのは、あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、あれは、浪ばかり。

曇った北海の空の下、
浪はところどころ歯をむいて、
空を呪ってゐるのです。
いつはてるとも知れない呪。

海にゐるのは、あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、あれは、浪ばかり。

(中原中也 著『在りし日の歌』より)
北の海


ここ、ルクソ地方の山の奥地に、彼とその同胞たちは暮らしていたらしい。
草を掻き分けるようにして進む…慣れない者には厳しくも感じる獣道。
オレを先導して歩いていたクラピカは、そこで ふと歩みを止めた。
合わせてオレも立ち止まる。
木々に囲まれて、平地が広がっていた。憂える雑草が まばらに生え、裸の土地に かろうじて色彩を与える。
「あそこに。」
指差した先を見やれば、こじんまりとした木造りの小屋。目を凝らして、ようやく見える程度の距離に。
「唯一 焼け残った離れがある。古びて汚れているだろうが…雨風は防げるから。」
今夜はそこで雑魚寝でいいか、とオレを振り向いた表情は、思いのほか穏やかだった。
オレのために無理をしているワケではない、と思う。クラピカはきっと、ここに来るといつも──こんな表情でいるのだろう。ただただ、両の瞳だけが 爛々と赤く射抜くように底光りしていた。
口元には、笑みすら浮かべながら───…
「…クラピカ。花、早めに」
あぁと頷いて、細い指が オレから一輪の花を受け取る。そうしてクラピカの歩き出した先には、不自然に凹凸の激しい土。その上に、大きな石が幾つも乗っていた。
5年前───ほんの12歳の子供が、同胞の躰を…家族の躰を…どんな思いで そこへ埋めたのか。
そんな思いも巡らせられぬ刹那、ひゅっと風が吹き付けた。
前を行く金髪が流れるように靡き、その後ろ姿は一枚の情景画のように脳裏に焼き付いた。



海にゐるのは、あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、あれは、浪ばかり。



こんなにキレイなのに、穏やかさを欠いた内面は
鋭く深く 器を打ち崩してゆく。



花は、クラピカの静かな口付けを受けて 地に添えられた。
ここへ登る途中の野道で摘み取ってきた花だった。鮮やかに咲く一輪を、クラピカ自身が選び取った。いつもそうしているのだと聞いた。
…花も何も、消え失せてしまったのは この一帯だけなのだ。
オレはクラピカを真似て、手の平を合わせ指を組み 目を閉じた。
備えられた野花は、売店の花束の誂えられた美しさよりも ここに在るに相応しいのだった。


不意に過ぎった それは、或いは花の創り出した幻想だったのかもしれない。

満ちた大地の若草色 鮮やかな赤や黄は映えて
蝶を追いかける金の少年 包み込むような恵み。

思い浮かぶハズもない情景。
ココに在るのは。

腐りかけの木片 丈の低い雑草
作り微笑(えがお)を湛える 灰燼に帰した様々の名残。




寝床に使わせてもらう小屋を軽く清掃した後で、クラピカはオレを山の裏へと連れ出した。
改めて気付いた事に、そこは山奥ではあったが あまり標高は高くなかったのだ。
傾斜の多少大きい坂道を30分も下ると、そこには海が広がっていた。
もちろん、波の打ち寄せる砂浜があるわけではなく、ゴツゴツとした岩場に腰を下ろす。もし岩から落ちても、すぐ側なら水深は2メートルぐらいだから安心しろと言って、クラピカは瞳だけで笑った。
「人魚が住んでいたんだよ、ここには。」
小さく岩を削る波、見上げた空には雲が白かった。
「正確には、“マナティン”…」
「知ってる。昔の人間が、人魚と勘違いした…ってヤツだろ?」
「そう。人魚の幻を生み出した、哺乳類。」
少し暑いなと、クラピカは常着のクルタの民族衣装を脱ぎ払った。
ここまで下ってくるのに多少なりと汗を掻いていたオレも、見習うようにスーツを脱ぐ。
「住んでいたんだよ、人魚が」
過去形で語られる言葉に、不思議な共感を覚えながら。
ともかくもクラピカから過去の話を聞ける稀有の機会かと 耳を澄まし、心持ちクラピカに凭れるような姿勢をとった。隣に座るクラピカは薄いランニングシャツとズボンだけを纏う。布越しに伝わる体温。
「───よく、ここで泳いだんだ。」
「泳いだって?お前が?」
「幼い頃から、遊び場にしていた」
「へぇ…」
「想像できない、とか?」
気付けば、クラピカの体の方がオレに凭れかかっていた。
軽く閉じられた瞼の裏は、やはり緋く燃えているのだろうか。
だけどそれも、隠されてしまえば。白魚のような肌も薄紅色の唇も、こんなにキレイで穏やかだ。
「水中に潜っていられる秒数を競ったり。遠くへ泳ぎすぎて叱られたコトもあったっけ…」
水面を渡る風音に乗せて聞きながら、遥か地平線を見やる。
ふと、オレに凭れかかっていた重みが すぅっと引いた。心許なくて、オレは横に座るその姿を確認する。
「クラピ…カ、あ! ───おい!」
立ち上がったかと思った次の瞬間…軽く岩を蹴り、クラピカは海へと飛び込んでいった。いや、飛び込んだと言っても岩場の1メートル下は海面なのだが。
ほどなく水上に顔を出したクラピカは、水底から採取したのだろう海藻を手渡した。今夜の食事に使おう、と どこか楽しげに言いながら。
「つーか お前、服着たままで…」
「我々の文化に、水着なんて無かったからな。…確かに、長ズボンで泳ぐのは初めてだけど」
前髪から滴る雫を 指先で軽く絞りながら、クラピカは、少し泳ぎたいと言った。
「オレは、遠慮しとくよ。お前みたいに得意じゃねぇし」
一緒にという誘いは断って。オレは特に退屈するでもなく、クラピカの泳ぎを眺めた。
波に身を委ねるのを基本的とする遊泳。
服も着たままだというのに、美しいフォーム。透明な魚のヒレを借りてきたかのように。


だけどココに人魚はいない。
あの 小さな幸せの中で 微笑んでいたハズの 人魚はいない。
在るのは静かな波ばかり。




幾許かの時間が過ぎた頃、彼はこちらへ戻って来た。
「そろそろ上がるか?」
コクンと頷いた後、クラピカはボソリと呟いた。
「…気恥ずかしいな」
意味を分かりかね、何が、と聞き返す。
「…瞳が」
手で目元を覆うようにしながら、クラピカは静かに息を吐いた。
「瞳が…いつまでも赤いままだ。ここに来れば、気も安らぐと思ったのに」
オレは、黙って手を差し伸べた。濡れた体が、腕を伝って海を上がった。
体に張り付く薄いシャツに肌色が透けて、細い線がくっきりと浮かび上がる。その裾を軽く絞っただけで、クラピカは腰を落ち着けた。纏う雫が、ポタポタと岩に水溜りを作る。
「服とか髪とか、鬱陶しくねェ?」
「下手に構うと、余計に気になるぐらいだから。」
「本当に、慣れてんだな。」
「ああ。ここは、いつまでも昔のままだし」
サッと吹いた風に、さすがのクラピカも少し身を縮めた。
オレは少しの逡巡の後、その肩を抱くようにして温めた。潮水は冷たくて…お互いのシャツ越しに伝わるクラピカの体温も、だけど同じぐらい冷たく感じた。
「……の…だけど…」
ぼそぼそと小さな声。されるままオレに身を預けているクラピカの、独り言つようなそれを…聞き取ろうと、オレはその体をさらに抱き寄せ、耳を寄せた。

紡がれる言葉。
 5年前の、それはまるで凄惨な嵐。
 この海には、クルタ族の船が浮かんでいた。
 逃げ道を防ぐため、旅団は船を破壊した。
 同時に、海に住む何もかも藻屑と消えた。
いつまでも昔のままのこの海だけど、一つだけ。

人魚はいない。



…呪い。全てを奪った奴らへの、果てない呪いが、彼を支配した。

金糸のように艶めき靡く髪と
撓う両手足 そして宝玉の瞳で
一見すると とても美しく 穏やかなその人は
既に人魚では在り得ない。

波。大切なモノを失って、水泡と帰した人魚姫。
嵐が過ぎ去った後 全てが終わった後
人魚は帰って来るのだろうか?
帰って来はしないだろう。嵐は、全てを台無しにした。
嵐の後の静寂は、
きっと何も残さない。───波の存在すらも、危うい。



曇った北海の空の下、浪はところどころ歯をむいて、空を呪ってゐるのです。



激しく飛沫(しぶき)を上げて        波
          呪うことでのみ    形を保てる

腕の中、突然 抱き竦められた体は 不思議そうにオレを呼んだ。
「…あーあ、オレのシャツまでビショビショ。お前のせい」
「責任を押し付けるな。私から擦り寄ったわけではないだろ」
背に回した両手でシャツをめくってやれば、小生意気な態度を取ったその体も ギョッとしたように強張った。
「乾かそーぜ、服。」
「……寒いっ…」
「濡れてるからだろ。気温は充分だし、太陽も照ってる」
シャツを取り去り、さっき脱いだオレの紺色のスーツの上に寝かせる。
オレも手早にシャツを脱ぎ、まだジタバタと抗う体に覆い被さった。
「っ……は…」
手で顎を固定し、耳朶を軽く噛む。そのまま耳の奥へと舌を差し入れ、くすぐるように動かしてやる。
「なんか、塩辛ェ」
「───知るかッ お前が、勝手に───…ッ」
濡れたズボンを持て余しながらも オレを蹴り上げようと暴れる足。両膝でそれを押さえ込み、胸の先端を舌先で転がす。
「…ココも、塩辛い」
右胸の小さな飾りを二本の指で軽くはさみ、軽く揉むように擦る。敏感なそれは、指の間でスグに勃ち上がった。
挟んだままの そこへ舌先を伸ばして。何度か突付いた後、擦るように往復させる。
「ッ…んんっ……」
鼻にかかった甘い喘ぎを漏らし、逃げを打つ体。
オレを押し返そうと伸ばされる両手は、だが空しい抗いに終わる。
存分に鳴かせ。そしてようやく慣れ始めた頃に、今度は左胸に同じ責めを与える。
押し殺すように だんだん小さくなっていた声は、慣れないもう片方への疼きに再びハッキリと反応を示した。
無駄だと分かっているのだろうに、首を振り 身を捩る。
もともと どこもかしこも敏感なヤツだ。特にココだけが弱いワケじゃない。
ただ、この一点ばかりを じっくりと嬲ってやるのは 初めてだったから。
…下腹へ、ズボンの内側へ指を忍ばせる。
すらりと長い…滑らかな脚部の感触は。類なき美声と引き換えに得た、人魚姫の足を彷彿とさせた。
更に指を下着の内へと差し込み、やんわりと揉みしだく。これは、過去に何度か施してやった行為。
「───…ッ」
「…堅くなるなよ。さっきみたいに、声、出せって」
「さ…っきの、はっ……ッ」
「いつもと違うコトされたから、か?」
ふぅっと、耳に温かい息を吹き込む。ビクビクと震える体。
「ん、そんな風に反応見せてくれると嬉しいんだけど」
「そ、んな、────……ッ…」
声が途切れて…既に限界が近い事を知る。
眉根を寄せて耐えようとする表情と オレの手に高められている熱さを 注意深く見比べて測り、恐らく限界ギリギリであろうところでズボンから手を引いた。
「え……」
望むまま施してもらえるものと身を任せていたクラピカは、裏切られた苦しさと困惑の入り混じった表情を向けた。
上気した頬、熱っぽく潤んだ瞳。
「なぁ。…どうしてほしい?」
言ってみて、とズボンの上から撫で擦る。中途半端な刺激に耐えられぬ声を押し殺そうと、クラピカは両手で口元を押さえた。
ズボンを脱がせてから、その手を剥がす。
「じゃあさ、せめて…オレの名前、呼べよ」
細い両手首を左手でまとめて捕らえ上げ、右手はもう一度 足の付け根へ滑らせる。
「は…ぁっ、んッ」
少しずつ少しずつ、高みへと追い詰める。
もがく手首は左手で戒め、首筋を舌でなぞり上げ。
「レ…オ──…っあ…」
小さな悲鳴が上がり、右手が白濁に濡れた。


美しいこの器を腕の中に捕らえても、過去の幻想を抱いているのではないかと
───…今、腕に少し力を加えれば、泡のように溶けて消えてしまいそうで。


…いつ果てるとも知れない呪。
真っ赤な瞳。人魚ではないのなら せめて。
波が永久に 空へ向かって吼え続ければ良いのに。



繋がった部分の熱さが、その存在を意識させる。
ゴツゴツと硬い岩が負担を与えないように、背へ腕を回し、抱くように体を支えた。
「レオ…リオ…」
繋がっていて。名前を呼ばれて。触れれば、反応が返ってきて。
だったら、今この時間はせめて───消えはしないのだろうかと。
 
世界中の涙で満たしたようなその(ばしょ)
過去の笑顔の幻の 過ぎることがあれば。
 
根拠のない確信にすら、縋りたいのだ。



海に   ゐるのは。



海にゐるのは、あれは人魚ではないのです。

海にゐるのは、



あれは、  ただ     浪ばかり。