見慣れた家に、見慣れたドア。
 押し慣れたチャイムを鳴らすと、聞き慣れた音がピンポンと響く。
 次には、ドタドタバタドタと住人が慌ててドアへ駆け寄ってくる音。
 こみ上げる笑みを抑えて、私は住人の登場を待った。ああ、ドアから一歩離れることを忘れずに。
 
「クラピカ!?」

 がちゃんとドアが開け放たれると共に、住人が私の名を叫ぶ。その頬は、興奮に紅潮していた。
 
「久し振り、レオリオ。いつも言っていることだが、その勢いでドアを開けるのは危ない」
「ああ、……ああ、次は気を付ける」
 
 それから、ハンターたるもの もう少し感情を隠す術を身に付けた方がいい
 ……との忠告は、心の内に留めておく。こちらを見て嬉しそうに唇を緩ませる様子は、なかなかに見ものだからだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 招かれて踏み入る彼の部屋。何度目の訪問になるだろう、もう家具の配置まで正確に覚えている。
 来客に備えて大急ぎで整頓した痕が伺えるのも、いつも通り。
 
 ただし一点のみ、記憶との相違。
 
「……にー」
 
 子猫が。
 部屋に入った私を見上げて、一声鳴いた。
 
「飼い始めたのか」
「つい最近な」
「名前は?」
「……内緒」
「……へぇ」
 その金色の猫は暫しこちらを見上げた後、ふいとそっぽを向いてしまった。首輪の鈴が、ちりんと音を立てる。
「悪ぃ、こいつ無愛想なんだわ」
「この子に限らず、大抵の猫はそうだろう」
「そーれが、輪をかけて無愛想でよぉ」
 とりあえずと促されてソファに座ると、温かい紅茶を手渡された。自分の飲む分としてコーヒーを淹れにいく彼の横を、子猫がとてとて付いて歩く。
 その後は、いつもどおり。互いの近況報告を済ませてから、ハンター試験の頃を思い返してみたり、最近の世界情勢を語ってみたりと、話は方々へ飛ぶ。
 
「……で。結局、その猫はどうしたんだ」
 それなりに長い話の中でも彼が自分から話さない以上、私も特に言及する気はなかったのだけれど。隣の膝でゴロゴロする金色は、嫌でも視界に入る。
 これまで、特にペットを飼いたそうな素振りはなかったはずだ。他者から預かったにしても、少々幼すぎる。となれば。
「捨て猫を拾ったのか」
「……ああ。近所の公園で鳴いてた」
 レオリオは膝へと視線を落とし、金の毛並みを右手で梳いた。
「拾ったはいいけど、とにかく無愛想だし用心深いしで手ぇ焼かせてよー。こうやって撫でさせてくれるようになったのもほんの数日前」
「小動物に好かれやすいお前でも、そんなことがあるんだな」
「いやもう、好かれるどころか警戒されまくり! 見た目はこんなにキレーなんだから、愛想の一つも使えばオレ以外の誰かに拾ってもらえてただろうにさ」
 見た目、と言われて改めて視線を移すと、確かに子猫の顔立ちは愛くるしかった。子猫はただ子猫であるだけで人の心をくすぐるものだが、その中でも一際整った目鼻立ちをしている。秀麗な金の毛並みをきちんと手入れしてやれば、それなりの値が付きそうな。
 だがこの猫にとっては、美しく生まれた幸運など幸運のうちに入らないだろう。それよりも、
「優しいお前に拾われたことが幸運だったな」
 レオリオは目を閉じ、それからどこか寂しげに笑った。
「オレは優しくなんかねーよ、別に。見かけた捨て猫みんな拾うわけにもいかねーし、いつも見て見ぬフリだ。こいつは、たまたま……」
 そこまで一息に言って口を噤み、彼は右の指先で子猫の顎を撫でた。ゴロゴロと喉を鳴らして、子猫は目を細める。
「……ま、オレが医者になっても似たようなモンだよな。病気のヤツを片っ端から救う余裕なんてねぇだろうし……あー、やっぱ優しくねーよオレなんか」
「なんだ、珍しく悲観的な」
「悪かったな。オレだって悩むことぐらいあんだよ」
「悪いことじゃない。ただ、悩んでどうにかなることとならないことがある」
 万物に対し平等に優しい人間なんか存在しない。
 存在したとすれば、とっくに気が狂っているだろう。
 不平等で不公平で、すぐ目の前の不条理すら救えやしないこんな世の中では。
「助けられた運の良い子供とその家族は、『優しい』医者であるお前に最大の感謝を贈るだろう。それが全てだ」
 それは子猫が『優しい』拾い主に感謝するのと同じ。
 現実の優しさなんて、酷く偏っているものだ。そこに真心があれば構わない。
 レオリオは私を横目で見た後、右手でくしゃくしゃと私の髪を撫ぜた。幼子のような扱いは多少気に障るが、彼流の照れ隠しだと分かっているのでされるがままにしておく。構ってくれる指を失った子猫が小さく伸びをして、彼の膝から飛び降りた。
 それを目で追っていると、猫に気遣う必要のなくなった彼の体が傾ぎ、左手が私の顎を捉えた。
「! ん……っ、ぅ」
 不意のことで開いてしまった唇に、強引に舌を捻じ込まれる。
 歯茎やその奥をじっくりと舐め回された後、奪うように舌を吸われた。私の頭を掴む右手が、彼にとって都合の良いよう角度を調整する。唇を噛まれた拍子に思わず抵抗して首を振ると、彼の右手のせいで髪がめちゃめちゃに乱された。
 ようやく解放される頃には唇も舌もじんじん痺れていて、抗いの台詞一つを紡ぐにも慎重にしなければいけなかった。
 
「……っ、の、昼間っから、いきなり……盛るな。……発情期でも、あるまいし」
「だってよ……話したいことは大体話したし。髪サラサラだし。そろそろ欲しくなるだろ」
 私の息が散々乱れているのに対し、彼の息は正常通りで、論理にならないことをペラペラと喋るほど余裕だ。くそ、単純な体力は私の方がずっと上なのに。
 絡まった私の髪を直すように梳きながら、耳元で彼の唇が動く。
 
 ───ベッド、行こ?
 
 正直もう絆されてしまう寸前だったけれど、このまま素直になるのは癪だ。この不利な状況をどう打破するかと考えていると、構ってくれない飼い主に飽きた猫が、部屋の外へ出て行ってしまった。ドアは、ちょうど猫が通れる程度に狭く開いている。
「……そうだな。寝室のドアを閉じるなら、考えてやろう」
 こちらの髪を撫でる手がピタリと止まった。どうやら予想は的中らしい。つまりこの家中のドアのほとんどは、子猫が通れる程度に開いていて。閉じてしまうと、行動範囲を制限された子猫は不機嫌になるのだろう。
「いやでも、猫は邪魔しねーから別に……」
「私は、猫に見せ付けるつもりはない」
「そこをなんとか~……後でアイツの機嫌取るのって大変なんだよ」
「では私を諦めればいい」
 うう、と少し唸った後、彼はこちらを緩く抱き締めた。どうやら、猫より私を取ることに決めたらしい。
 本当は猫の一匹ぐらい気になることはないのだけれど。
 まぁ、二人きりに越したことはない。せっかく、携帯電話では繋がらない体を重ねる時間なのだから。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 寝室の扉が、子猫を通す隙間を残さず閉じられる。
 二箇所のカーテンも閉めて薄暗くなった部屋のベッドへ、仰向けに寝かされて。
 
「ん……」
 覆い被さった彼に、軽いキスをされる。少しずつ角度を変えながら、繰り返し。
 その間に服へ手をかけられ、前を肌蹴させられる。脇腹から胸へと、彼の手のひらが緩慢に滑った。
「……ッあ」
 彼の指が、胸粒の周囲を円を描くようにくるくると撫ぜ始めた。淡い浮遊感に襲われて、キスの合間に思わず声を漏らしてしまう。
 レオリオの舌先は、私の唇の端から端までをなぞってから、少し下方へと移動した。首という急所を舌の面積で舐め上げられて、背筋がぞくりと震えた。
 その間にも、彼の指先は胸の周囲で円を描き続けている。中心の赤みには決して触れてこない、そのもどかしさで私は少し身を捩った。
「……ッ、レオリ……ぁ、あっ」
 私の声を合図にしたように、指がその胸の中心を軽く擦った。突然の感覚に、体がビクリと反応した。
「感じた?」
「~……ッ」
 悪戯っぽい囁きに、これが計画的なのだと知る。彼の指は、もう片方の胸の周りで同じように円を描き始めた。故意に焦らしているのだと分かった以上、彼の策略に惑わされないよう感覚を受け流そうと努力する。
 けれど、舌先で耳や鎖骨のあたりを辿られているうちに、体は自制が効かなくなり火照り始める。刺激を欲して、震えてしまう。
「……っふ、ぁ」
「ん、どうしてほしい? ……どうされたい?」
 分かっているくせに聞くな。
 睨みつけてやろうと思ったが、彼の頭は肩口あたりに埋まっているから無意味だ。いやそれ以前の問題として、水分の増した瞳で睨んでも威圧感に欠ける。
 荒くなる息をはぐらかしながら耐え忍んでいると、彼は首筋に吸い付いていた唇を離し、少し顔を上げた。
「クラピカ、まだ触ってねーのに……乳首、勃ってる」
「……るさい……ッ」
「言っとくけど、オレ、お前ほど意地悪じゃねーからな?」
 何がおかしいのかクスクス笑った後、レオリオの舌がその胸の周囲に触れた。相変わらず中心を無視したまま、指と協力して片方の胸ばかりを焦らし続ける。
 いっそ自分で触ってしまいたい。触ってしまえばどうということもないはずなのに、触れられないだけで何故こんなに辛いのか分からない。
「……ひッ」
 刺激を待ち望んでいるそこに、不意に息を吹きかけられた。空気が滑っていく感触が、敏感になったそこから全身へと響いていく。
 けれど満たされるには足りない。そして風が通り過ぎた後は、また静かに焦らされるばかり。疼く体は、熱を帯びて辛いだけ。
「……っい、嫌だ、もう……こ、んな……、うぁッ!?」
 舌が、その突起へ触れた。瞬間、弾かれたように体が大きく跳ねた。
「嫌じゃねーじゃん。こんなに喜んでる……」
「あっ、……ん、ぁ」
 何度も何度も舌先でその箇所を愛されて、快楽に全身を乗っ取られそうだった。
 それから今までの分を慰めるように、指で挟まれて揉むように擦られ、指の間から舌先でも突付かれる。
 刺激は大きく小さく断続的で、どんどん思考があやふやになっていく。
「クラピカ、こっちも……触ってねーのに、もう勃ってる」
「あっ……」
 ズボン越しに手で擦られて、体は従順に反応した。
 下着ごと脱がされても、もう抵抗する気にはならなかった。素直に、レオリオに身を預けてしまう。
 熱を帯びたそこに触れる外気が少しばかり冷たく感じたが、それも束の間で、すぐに彼の温かな口内へと迎えられた。
「んっ……ぅ、あ……ッ」
 根元まで咥えられ、舌を絡められる。的確に私を知り尽くした動きは刺激が強すぎて、すぐに私の浅ましい先走りが先端から零れ始めてしまう。
 それを更に促すかのように、舌で鈴口をぐりぐりと擦られる。
「やめ、あ、ふっ……んぁッ」
 隙を突いて、指の一本を挿れられる。
「締めすぎ、クラピカ」
「…っな、……っあ、はぁッ」
 くねる舌が、括れあたりを擦った。同時に、中を掻き回すように指を動かされる。気持ち良いのだか悪いのだか分からない。だが確実に、追い詰められている。
 予告なしに指を追加されて、思わず悲鳴を上げた。二本が中でバラバラに蠢く感触に耐えられず、私は震える手でシーツを握り締めた。淫猥な音が響くけれど、居たたまれなさに耳を塞ぐ余裕もない。
「待っ……ア、もう、あッ」
 暴れる私の足を邪魔に感じたのか、レオリオは空いた手で片方の太腿を抑え込んだ。そうして腰の位置を固定されてしまえば逃げ場はなく、後は彼の思うさま狂わされるのみ。
「や、ひぅ、あっ……、イぁ、あ───…ッ!!」
 強く吸い上げられ、促されるままに、私は限界を迎えていた。
 ごくりと、彼が私の性を飲み下す音が遠くで聞こえた。
「……は、……はぁ………」
 私が完全に達き終えるのを待ってから、指がずるずると抜けていく。
 間もなく、トロトロに乱された入り口へ、彼の暴力的に大きなそれが充てがわれた。
「───挿れてイイ?」
 耳元で合図のように囁かれて、私は静かに瞳を閉じた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ふと眠りから覚めると時は夕刻で、カーテン越しの外の明かりはすっかり弱まっていた。
 この寝室も暗く、かなりの色彩を失っている。ただし、ドアが薄く開いているため廊下の明かりが差し込んでいて、物の輪郭は明確に見える。
 隣に寝ていたはずの彼の温もりは既になく、とっくに起きているらしい。いや、そもそも眠ってはいなかったのかもしれない。
(寝顔を見るのが楽しい、とかほざいていたからな)
 とにかく目が覚めた以上、ダラダラと寝転がっているのは性に合わない。起きよう、と上半身を起こすと、聞き覚えのある声が響いた。
「にー」
 被せられていた毛布の上、に子猫。ちょうど私の足の上あたりで、金色が丸くなっている。
 部屋の薄暗さが気に入ったのか、それとも情事の最中追い出されていた分この部屋を堪能しようというのか、ただ単純にたまたまこの部屋に来ただけなのか。とにかくもまず猫をどかさなくては起きられない。いや、多分このまま起きても猫は上手くバランスを取って逃げるだろうが、気分的に。
 しかし、と思いつく。猫の寿命もそれなりに長い。今後のことを考慮すれば、仲良くしておくべきか。
 どかすために伸ばした手でそっと頭を撫でてみると、猫の方も特に嫌そうな素振りはみせなかった。主の寝台に堂々と寝そべる私を見て、思うところがあったのかもしれない。賢い猫だ。
 名前を呼んでみようとして、まだ知らないのだと思い出した。
「お前、名前は?」
 猫はふいとそっぽを向き、聞こえないふりをした。
 そういえばレオリオが無愛想だとか言っていたか。……いや、猫というものは総じてこんな性格だ。多分。
「……せめて、こっちを向かないか?」
 撫で続けても知らんふりを続ける猫に、通じないとは知りつつも声をかけてみる。
 問いかけが通じたのか、猫は軽く首を振り、横顔くらいは見せてくれた。
 よく見れば、その瞳の色は、誰かに似ている気がした。
 
 
 
 
「……ピカー? おーい、どこだー」
 不意に、部屋の外から呼び声。どこだも何も、ここにいるに決まっているだろうが。
「……ピカ~、出といでー。ピカちゃーん、晩メシー」
 ……何か妙だな。
 と、大人しく撫でられていた子猫が私の手から抜け出して、ひょいとベッドを飛び降りた。嫌だったわけじゃないよと示すように私の瞳を少し見つめた後、軽い足取りでドアの外へ向かう。
 廊下で猫が鳴くと、「おー、そんなところにいたのか」と彼の声。おいおい。
(内緒だって言ってたくせに……猫の名前)
 重要な機密などではないにせよ、一応は秘密にしていたことをこんなにあっさりと知られて良いものか。
 すぐ感情を顔に出すクセも含めて、一度ハンターとしての心構えを説いてやるべきかもしれない。
 ……とは思いつつも、つい笑い出しそうになってしまう。なるほど、あの猫を拾ったのは私に似ていたからだと?
 
 暫し後、軽いノック音がしてドアがゆっくりと開き、廊下の明かりが部屋全体へ広がった。同時に、何かの焼き上がった匂いも運ばれてくる……夕飯の用意ができたのだろう。
 私は規則正しく息を整え、寝入っているフリをした。先ほどの彼の声は聞こえていない、猫の名は知らない、と見せかけるために。(わざわざそうしなくても、彼の鈍さならそこまでの考えには至らなかっただろうとは後で思った)
 彼の息が近付く気配。この後は頬やら額やらにキスを落とされて、目覚めた私は夕食に誘われるのだろう。いつものパターンだ。
 存外悪くない。局所的に偏った優しさを向けられ、それに包まれる一時は。
 
 ……一つだけ不満を挙げるとすれば、私はあの子猫ほど生意気ではないはずだけど。