泥に穢れたズボン、解れかけた袖口、傷口から紅色の滲む唇、
ボロボロの微笑。

腕に抱くは、一対の緋い宝玉。




彼がどれほどの苦難を経て このたった一対の眼を奪還し得たのかは、俺の知るところではない。彼は健康的とは言い難い状態で家のドアの前に立っていた。その、形見を抱いて。

居間のソファへと促して、ティーパックから紅茶を一杯。カップを受け取ると、彼は 水泡と化した人魚姫のように笑った。
俺は彼のすぐ隣へ腰かけ、肩を寄せる。
内側に緋色の揺れるガラスケースは、ソファの前のテーブルへ置かれていた。今まで意識的に控えていた視線をそちらへ向けると、白魚の指先が愛しげに、ガラス越しに形見を撫ぜた。

静寂のうちに行われた この一連の所作を、第三者は以心伝心とでも称えるだろうか。実のところ、彼の思いが俺の内へ浸透することはない。
だから彼が唇を動かそうものなら、一言一句聞き逃さぬよう耳を澄ますのが常だ。

「…すまない。急に、押しかけたりして」
「あー…気にすんな。いつもの事だろ?」

ケース上で所在無く泳ぐ白魚に 俺の手を重ねる。彼の表情は多少、綻んだようだった。
世界七大美色に数えられる赤は、俺の目にも容赦なく美しい。ガラスケースの中の形見も、今ここに生きる一対も。

「これは幼子の瞳だろうな。一回り、小さい」

クラピカは独り言つように口にして、ケースを少し掲げた。













「変わったオモチャだな」

数ヵ月前のことだったか。彼のカバンから覗いていた小さな用具を手に取り、俺は素直に言葉を漏らした。
独特の形状は、外界との接触を極力絶っていた民族ならではの文化遺産だろう。作りからして恐らく、幼子の玩具であるとは予想された。
特に不思議に感じたのは、その色使いだ。
青に茶色、黄、グレー。幼子の気を引くためのオモチャにしては、地味な配色だ。

「我々の用いた道具は、大抵そんな色をしている」

いつもの優しげな声で、クラピカは何気なく言ったのだ。

「遺伝的に、軽い色盲なのだよ。クルタ族は」

耳を疑うような告白を。
ハンターである彼にとって、それは大きな弱点となり得るだろう。

「…色盲?」
「生活に支障のない程度だがな。一般の色使いでは、判別し難い」

────瞳に発現する特質に関係しているのかもな。そう、彼は付け加えた。
確かに、特殊な遺伝形質を持つ者が 同時に身障を受け継ぐ例は珍しくない。

「青や黄は、識別しやすい…というか、比較的そのまま見えて」
「だからお前の服も その色なのか」
「そう。それから茶色と、当然グレーも見誤りにくい」

なるほど、彼のカバンは茶色だ。そしてこの小さな玩具も、おおよそ それらの色で作られている。
納得しかけたところで ふと、彼の顔に差した翳りに気が付く。

「逆に見難いのが、赤。どんなに秀麗で鮮やかな赤色だろうと、我々の眼に映るのは鈍い茶色だ」

幾分落ちたトーンで 吐き棄てるように彼が言ったので、

「…皮肉だろう? 我々は、我々自身の瞳の発色が分からないんだ」















「この緋色と引き換えに、子供が一人 殺されたわけだ」

ケースを掲げながら、彼は静かな ( 或いは空ろな ) 瞳で呟いた。
今日 彼が取り戻してきた この形見も、彼には鈍い茶色にしか見えていないことだろう。
輝きの主は自らの輝きを見ることは出来ないのだ。価値も分からない宝石と引き換えに、同胞の命を自らの命を 沈められてゆく皮肉。
そして更に皮肉なことに、色盲であることが より一層、彼らの美を高めていた。何事においても、驕りは輝きを曇らせる。

「…レオリオ。この眼は、綺麗か?」

形見を俺に見せて、クラピカは そんな残酷な問いをかける。
誰もが称える美しさを前に、俺はそれを否定する術を持たない。

「…綺麗だ」
「どれぐらい?」
「…さすが、世界七大美色の一つだなって…」

盗賊が、そしてコレクターが、人命や多大な札束と引き換えにしてでも得たがるほどの輝き。それは確かに俺をも魅惑する。
────だが俺は、これより更に美しい色彩を知っている。


そもそも、彼らの緋色を価値高き美色と定めたのは誰だったのか。
最初にこの色に着目したのは ──つまり欲したのは── 誰だったのか。

食の美だろうと 造作の美だろうと 色の美だろうと
美醜を定めるのは あくまでも個人の主観だ。絶対的な美しさなどは存在し得ない。
色盲じゃなくたって、どうせ。

そもそも、彼らの緋色を価値高き美色と定めたのは誰だったのか。
誰にも理解るのは せいぜい、稀少であるが故の価値ぐらいだ。


「では、私の眼は。綺麗か?」

世界にたった一対の稀少な宝玉を見せ付けて、彼は次なる問いをかけた。
答えは簡明。

「綺麗だ」
「どれぐらい?」

俺は、これ以上に美しい色彩を知らない。

「今すぐ欲しい」




そもそも、彼らの緋を 価値高き美色と定めたのは誰だったのか。
美醜を定めるのは あくまでも個人の主観だ。絶対的な美しさなどは存在し得ない。



「んぁっ…あ、レオリオ…」

胸の頂を舌で探る、ソファの上。仰向けの白魚は幾度も跳ね上がり喘ぎを漏らす。
少しずつ唇を下ろしてゆけば、か細く もがく。身を捩ったところで、下腹部で示される反応を ごまかせやしない。

「や…ぁっ」

蜜を溢す先端に口付け、そのままこちらへ受け入れる。体はますます跳ね上がる。
括れを舌先で探り、根本から先端までを窄めた唇で。時折リズムを崩してやれば、不意を突かれた喘ぎ声。
左手では内太腿を撫ぜながら、右手を後ろへ忍ばせた。

「あっ…ぁ」

蜜と唾液を織り交ぜた潤滑剤で、二本が すんなりと受け入れられていく。
グ、と奥を突かれる度に上へ逃れようとするも、それは口内で嬲られている彼自身を更に刺激することにしかならない。

「レオリ──だ…め、もっ……あ、んぁっ────…ッ!」

先端へ歯を当ててやると、呆気なく限界が溢れた。
熱さを飲み下し、顔を上げれば、ぐったりと息を吐く彼の表情。
緋色は瞼の裏へと封じられ、しかし彼の艶はそれにも関わらず。



そもそも、彼らの緋を 価値高き美色と定めたのは誰だったのか。
“誰もが認める絶対的な美しさ”など存在し得ない世の中で、それでもその緋を世界七大美色と定めて価値を与えたがったのは?


「い…っあ、あぁ、…っく、」
「痛むか?」
「…んん……っ」

どれほど入念に慣らしておいても、この瞬間 彼の顔は苦痛に歪む。
頬と首筋へのキスで宥めながら時間を置くのは、いつもの事だ。

「…クラピカ」

キツく結ばれた瞼が薄く持ち上がれば、体が落ち着いた合図だ。

「大丈夫か?」

透明な雫を滲ませながら、彼は落ち着いた合図を───…証の緋色を。 覗かせた。



げに美しき白魚が、一挙一動の全てを俺に支配されながら 白海に揺れる。
喘ぎ声も 儚い抵抗も 零れる真珠も 全てを俺の律動のリズムが支配する、艶美な時間。

視覚を麻痺させるほどに、美しい四肢。美しい緋。
仮に俺が色盲だったとしても
俺の眼には この色彩が世界一美しく映るだろう。


───── そもそも、彼らの緋色を価値高き美色と定めたのは誰だったのか。








「レオリオ、明日…」

クラピカは、形見の宝玉を見つめながら呟く。

「この眼を、墓に返しに行こうと思う」

彼の故郷には、幼い手で作られた墓が立ち並ぶ。
もともと価値なんか無いのかもしれなかった宝玉と引き換えに失われた魂の、鎮む土地。

もともと価値なんか無いのかもしれなかった。
美醜を定めるのは あくまでも個人の主観だ。絶対的な美色などは存在し得ない。
“美しいと決め付けられた色”にのみ、万人は高値を付ける。


世界に数多ある彩色の中から 特にこの赤の価値を高く定めた過去の人は
クルタ族の誰かに思いを寄せていたのだろうか。
世界にも稀なる美しさだと認めたかったのだろうか。緋色に染まっている ( 行為に溺れている証拠の ) あの、瞳を。

( 立ち並ぶ墓など想像だにせずに )

「明日、俺も付き添っていいよな?」

驕りを知らないその笑顔を世界中に誇示してやりたい衝動に駆られるのだ、俺も。