水の月・童

声を必死に押し殺して泣く
その子供を見つけたのは
もう、随分(ずいぶん)と昔の事のように思う。



4年前。
(ふもと)の町に小用があったついでに、その山を適当に散策していた時の事だったか。
その すぐ傍が 噂に名高い“クルタ族”の居住地だったとは …その時は、知る余地もなかったのだが。

泣いていたのは小さな子供。
文字通り“真っ赤に”目を腫らし、
涙も溢さず泣いていた。

まだ10歳を少し超えたか、その程度だろうに。
ボロボロに擦り切れた服、細かな切り傷の痛ましい顔。
元は鮮やかであろう金髪も艶を失い、靴も片方が脱げていた。
取り憑かれたようにフラフラと…


近付いてみると、静かに燃える…(うつ)ろな瞳がオレを振り向いた。






雪が降る。まだ寒さも厳しい、山中の一軒家。
…ハンター試験が終わって1ヵ月。
そろそろ、帰って来る頃だと思っていた。
「…お帰り。」
勝手に家出なんかした“子供”を、だけどこんなに優しく迎えてやるあたり、オレはなかなか寛容なオトナだと思う。
「どうした?そんなトコに突っ立ってないで、上がれよ…クラピカ」
玄関で俯いていた子供は、呼ばれて ふと顔を上げた。
視線が重なる。コイツお得意の目…オレを測るような瞳。
…が、『ただいま』も返す余裕もないらしく、目は居心地悪そうに また逸らされてしまった。
まぁ、4年も世話になった人間の元を置手紙ひとつで去ったワケだから。コイツの礼儀観念からして、かなり後ろめたいのだろう。
「いいから、早く上がれって。(ぬく)いスープもあるし…カラダ、冷えちまってるだろ?」
こんな山奥まで歩いて来たのだから当たり前だが、子供のカラダは雪だらけで。
さっさと風呂にでも入れてやりたいところだったが───やはり返答はない。
「どうしたよ、シケた面して。…まさか、ハンター試験 落ちちまったとか?」
「───受かった。」
ようやく一言だけ…しかしまだ動かない子供は、或いは謝罪のコトバを探しているのかもしれなかったが。
コイツが侘びを口にするには相当の時間がかかると経験上分かっているし、こんな玄関でやり取りしていてはオレの体まで冷えてしまう。
仕方ない。
「じゃあイイだろ、合格祝ってやるから。ホラ、────」
手首を掴んでこちらへ引き寄せ、部屋へと連れて行く。
どうせ、“表の”ハンター試験に受かったコイツが帰ってきた理由なんか、一つしかないワケだし。

繋がれた手を解こうともしないのは、拒否の意思を持たざる証拠。
不意に記憶が蘇る。







4年前。
まだ10歳弱のコイツを山中で見つけた。

ふらふらと たった一人で山を彷徨う
その子に何があったのかは予想もつかなかったが。
ただ…オレを振り向いたその顔
 静かな光を(たた)え、射抜くようなその瞳が。
11か 12ぐらいの子供にしては上出来だと、燃えるような赤も相俟(あいま)って つい魅入られた。
それが気に入ったから…ふと口をついたのだった。
一緒に来るか、と。
あの時も…そう。空ろながらも測るような瞳で、子供はオレを見た。
一緒に来るか。…返答のコトバを待つのは無駄な気がして、オレは黙ってその子の手を引き、歩き始めた。
抗う様子は無かった。
───それから、子供がハンター試験に臨むために家出するまでの4年間。
家庭も持たず 1人 山奥で暮らすオレとの共同生活は、子供にとっても居心地は悪くなかったらしい。
子供は書庫の古本を喜んで読み漁っている事も多く、オレとは会話らしい会話もなかったが、それでもポツポツと口を開くようにはなった。
暇潰しに 武術の稽古をつけてやったら、なかなかの才能を発揮して。それが日課になり 師匠と弟子の関係が根付く頃には、親密の程度も増し、子供の事情もある程度は聞き出せていた。
クラピカ、という名前。年齢も。独り言のように、素性も語ってくれた。
話によれば、オレと出会ったあの日の3日前───その子を一人残し、クルタ族は滅んだという。

オレは、保護者代理になる気はモチロンなかったが。
それを聞いて、ただ…子供の(すが)る場所がオレにあるのも良いだろうと、そう思って。



4年という月日は、一弾指の如くとすら感ぜられた。






古い木造の家。
寒さと無聊を持て余して作った、だけど温かいスープ。
皿によそって手渡しついでに、怒ってはいないと告げてやる。
お前を責める要素なんか、これっぽちも無いからと。
置手紙一つで去った事をどう謝るべきかと沈んでいた顔は、あどけなくオレを見上げた。
「ハンター試験の感想は?」
「…やはり様々な能力を試された。今回は、たまたま合格しただけだとも言える」
「いやいや、“運も実力のウチ”ってな。…そういや、試験が終わったのは1ヵ月以上前だっけな。今まで何してたんだ?」
「イロイロ。それより、お前こそ何をしていたんだか。…無精ヒゲは、毎日キチンと始末しろと言っているのに」
渡してやったスープ入りの器が オレに比べて小さな手のひらを温める。
ようやく いつものような雰囲気が戻ってきた。
コイツはやはり、生意気ばかりを言う。だから、少しだけ意地悪な問い。
「そうそう。ハンターとして、就職口は見つかったのか?」
グッと、答えに詰まったのが分かる。
その いかにも子供らしい表情に、オレはそっと微笑した。
「腹 減ってるだろ?そのスープ飲んで適当に座ってろよ、メシ持ってくるから」
共同生活の日々も、飯の準備はオレの仕事だった。いや、この子供にやらせても良かったのだが…どこか危なっかしくて。
ゆっくりと。そのノドを通ったスープは浸透し、冷えた体を温めた。

この家を出ていた間、この子は飯をどうしていたのだろうか?
    ──聞けばきっと、いらぬ世話だと言われるだけだろうが。





「私の今の手持ちには、替えの清潔な服がなくて」
「ああ、それならオレの服を貸すから。早く(あった)まってこいよ、ホラ」
洗濯済の夜間着を渡し、風呂へと追いやる。
オレのサイズでは、コイツには大きすぎるだろうか。旅館なんかに置いてあるバスローブと同じような作りの服だ。上下一続きの布になっていて、腰を帯で締めて着るもので…布質は、例えれば柔道着。
まぁアイツも多少は成長した事だし、帯をキツめに縛れば大丈夫だろう。きっと布を引き摺る程度だ。
こっそりと想像しながら、寝室に布団を引く。オレの分。それから、もう一人の分。
この年齢(トシ)になって まだ同室で眠るなんて、不自然には違いないが。
生憎と空き部屋はないし、それに…4年前からのこのスタイルを今更 崩すのも、その方がよほど不自然な気がしたから。
2人分の枕を用意しようと押入れを覗き、そのすぐ下の引き出しが目に付いた。
中には、怪我に備えての治療道具と、それから。
几帳面な文字で書かれた、短い置手紙。

『ハンター試験を受けに行く。恩は忘れない。』

置手紙を見つけたその朝。急にガランとした部屋は、まるで見慣れぬ洞穴のようで。
だけど寂寥の感に悩むことのなかったのは、確信に近い思いのせいだった。
…必ず帰ってくる。だってアイツはヒヨッ子以前。“表の”ハンター試験に合格したからといって、望む仕事には在り付けまい。
足らぬモノを満たす近道はオレだと、賢いアイツは すぐに気付くハズだから。

思った通りだ。現に、ココへ帰って来た。
でも、今度は───…




風呂から上がったその姿は、予想とは多少異なり…布を引き摺るほどではなかった。
余った(そで)も、寒い山では かえって具合が良いとすら思える程度で。
「でも、まぁ…まだまだオレには及ばねーな。」
訝しげに見上げた そいつに、ぶかぶかの服を指差してコトバの意を教えてやる。
「───ッ…だが、“まだまだ”という表現は適切じゃない。成長期は過ぎたのだ、これは仕方のない事で」
「そういや、お前って声も高けーよな。声変わりは済んだのか?」
「…お前も知ってるコトだろ。」
そうだった。何年か前、声をガラガラにしていた時期もあったっけか。
だけどその後も、それ以前と大差ない高いトーンを保持したままで。どうしてオレのような声にならなかったのか、と悩んでいた姿が可笑しかった。
「何を笑っている」
「いや、悪ィ悪ィ。まぁ何だ、お前ぐらいならまだヒヨッ子だ、身長なら伸びる見込みはあるさ。明日には牛乳でも飲ませてやるよ。」
不意に、その顔色が曇った気がした。反論もせずに黙り込んでしまったそいつを前に、オレも少しだけ動揺する。
「おい、…どうしたよ?」
「───頼みがある」
一瞬浮かんだ疑問符は、だが次の言葉を聞かずとも消化された。
「“念”を、教えて欲しい」
コイツが帰って来た理由は、最初からたった一つしかなかったのだ。
…オレを見上げる(まなこ)
どこかまだ 幼いゆえの不安定さが残る瞳の奥で
大人にも負けない、鋭く深い眼差し。
この子は昔から、こういう()が得意だった。
それにしても、唐突だ。急な話題転換に、言うなれば‘心の準備’とかいうヤツが…オレには まだない。
言葉を失ったオレに焦れたのか、ポツポツとセリフが続く。
「“念”を知らない私は、“ヒヨッ子”…いや、それ以下だと称されたのだ。」
奇しくも(おのれ)の言葉が起爆剤だった事を知り、迂闊(うかつ)を悔やむ。
「…風呂、行ってくる。冷めないウチに」
(きびす)を返したオレに、後ろから追うような叫びが聞こえた。
「分かっている!どんなに…身勝手な望みか…ッ
 ───だが、私にはっ お前しかッ」
「ダイジョーブ。家出を怒ったりしてねぇって、言ったろ。」
背を向けたまま軽く右手を上げてから、オレは浴室のノブを回した。



───例えば。
ココを出て行く必要があるのか、とか。
還る家も要らないのか、とか。
それは愚問でしかないのだろう。(ひと)り行こうとする、その子に対して。






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