◆レオクラ小説『好きだと気付いた瞬間に』の短い続きです。

「クラピカ、髪切ってやろうか?」
 いつかと同じような台詞で、レオリオはクラピカの散髪を申し出た。
 十二支んの会議の直後、ハンター協会本部。二人はともに見慣れたスーツ姿だ。
「髪、そろそろちょっと伸びすぎだろ? 前に切ってやった時からもう何ヵ月も経ってるしよ」
 レオリオの言うとおり、そのプラチナブロンドは手入れの行き届いた状態とは言い難かった。特に前髪は目にかかって、やや見苦しい状況だ。
「オレのほうは、今日はいつでもいいけど」
「あいにくと、私は予定が立て込んでいる」
「じゃ、夜だな。待ってるから、オレの部屋に来いよ」
 クラピカは、視線だけで了承を告げた。
 
 前回の散髪後は、避けているだのなんだのと口論に発展した結果ベッドへ押し倒されてしまったクラピカだが、今の二人にそういったわだかまりはない。
 よってその夜、レオリオの部屋を訪ねたクラピカは、散髪だけを終えて速やかに自室へ戻るはずだったのだが。
 
 
「っレオリオ!? 何のつもりだ!?」
 案の定、さっぱりと髪を整えられたクラピカは、レオリオの部屋のベッドへと押し倒されていた。
「何のつもりって、分かんねーわけじゃねぇだろ?」
「あ……っ」
 熱い唇が、クラピカの首筋に吸い付く。
 結局今回も、散髪はただの口実であったらしい。クラピカは、あっという間に、レオリオの下に閉じ込められてしまっていた。
「あ、あ……っ」
 シャツ越しに乳首をこりこりと擦られて、クラピカは思わず身を捩る。
「レオリ……っ」
「なぁ、いいだろ? クラピカ……」
 耳元で囁かれて、全身にぞくりと淡い性感が走る。
 いいだろ、なんて確認されるまでもない。クラピカの体はもうとっくに、男の体温に絆されている。
「耳、弱ぇよな……」
「んん……っ、あ、あ……っ、」
 耳殻を舐めしゃぶられて、更には舌を挿れられて、クラピカの全身が戦慄いた。
 今夜もこのまま、クラピカはレオリオの下で砂糖漬けにされるのだろう。
 
 
 ───こうして騙し討ちのようにベッドへ引き込まれるのは、今日が初めてではなかった。
 クラピカはもう幾つもの夜、こうしてレオリオの手に落ちている。
 
    *
 
 誓うような口付けを交わし、肌を重ねたいつかの日から、もう一ヵ月。
 二人に流れる空気に、なんら変化はなかった。
 クラピカの態度は相変わらずそっけなく、レオリオはそのつれない態度に臆することなく突っ込んでいく、ただそれだけ。愛を囁きあって微笑むこともなければ、手を繋いで街を歩くこともない。
 
 変わったのは、レオリオが求めれば、クラピカはなんだかんだで身を委ねてくれること。
 その唯一にして最大の変化はレオリオにとって十分なもので、だからレオリオは何度でもクラピカをベッドに引き込んだ。
 直接的な言葉で誘われてくれるクラピカではないから、それはもう様々な口実を使った。資料整理を手伝ってほしい、相談がある、出張の打ち合わせをしよう、散髪してやる。そうやって呼び寄せては、強引に組み伏せた。
 とはいえ頭の回るクラピカだ、下心になんか当然気付いたうえで知らぬふりで来ているのだろうとレオリオは思う。そして、その曖昧さがクラピカにとって都合が良いのだろうとも思う。
 例えば会いたくて震えるだとか、そんな気持ちを歌に乗せて素直に伝えられるクラピカではないから。
 
 そう、だからレオリオは、今の二人に特段の不満はなかったのだが。
 
 
 
「クラピカなら、一ヵ月間、ノストラード組の都合でハンター協会には来られないと聞いているが」
 とある昼間、ミザイストムから告げられたその言葉に、レオリオは半ば呆然とした。
 
 この三日間、レオリオはハンター協会でクラピカの姿を見かけていなかった。
 同じ十二支んとして活動しながらも、班の違う二人は顔を合わせない日も珍しくはない。だが三日連続で姿を見ないとなると気に掛かり、念のためミザイストムに尋ねてみた、その結果がこれだ。
『クラピカなら、一ヵ月間、ノストラード組の都合でハンター協会には来られないと聞いている』
 ───レオリオは聞いていない。
 
 
 お前なぁ、一ヵ月も会えないならオレにちゃんとそう言っとけよ。
 仕事を終えた夜、そんな台詞を用意して電話を掛けてみるも、プルルルルとコール音を聞くだけに終わった。
 メールアドレスは相変わらず知らないままだ。なにやらいろいろと思うところのあるらしいクラピカは、いまだそれをレオリオに許してくれない。
 
 避けられているとは思わない。
 以前とは異なり、今のクラピカの態度に不自然な冷たさはないと、それはレオリオも分かっている。
 しかしながら、クラピカの振る舞いは素のままで冷たいのだ。正確には、円滑な人間関係の構築に一片の興味もないと表現するほうが適切だろうか。サービス精神がなく、愛想がなく、無難な世間話で間を繋ぐこともない。
 今回も、ミザイストムとレオリオに差をつけたわけではないのだ。十二支んとしての仕事に不都合を生じぬようミザイストムには不在を伝える必要があったが、レオリオには伝える必要がなかったと、本当にただそれだけ。
 
    *
 
 レオリオはその後も三日に一度は電話を掛けたが、相変わらずコール音以外が聞こえることはなかった。
 クラピカから掛け直してくれることもなく、二週間、三週間と経っても、携帯には発信履歴の明朝体ばかりが刻まれていく。
 
 私室のベッドにごろりと転がって、レオリオは白い天井を見上げる。
 そりゃあ確かに、毎日のようにメールや電話で『会いたい』と伝え合うような甘い関係を望んではいなかった。
 お前がいないと生きていけないだとか、お前のいない世界に意味はないだとか、どうしたってそんなドラマチックな二人にはならない。手に手を取って幸せな未来を求めるような二人ではないのだから。少なくともレオリオは、いつかクラピカを失い泣き崩れる日が来たとしても、また前を向いて歩いていくのだろうと思う。
 
 そう、だから不満はないのだ。
 いちいち口実を作らなければ二人きりの時間を作れない現状にも。
 一ヵ月も会えない事実を告げずに行ってしまう、クラピカのつれない態度にも。
 
 ……けれど。
 それを少しばかり『寂しい』と感じることが、果たして罪であろうか。
 
    *
 
 結局、電話もメールもないままに、一ヵ月が過ぎて。
 
「クラピカ!」
 夜も深まる頃、ハンター協会に黒塗りの車で乗り付けたクラピカを、レオリオは待っていましたとばかり出迎えた。
 レオリオは、ミザイストムからクラピカの戻る日を聞き出して待機していたのだ。以前、十二支んとして一年振りの再会を果たしたあの日のように。
「どうした、レオリオ? 急用か?」
「どうした、って……」
 一ヵ月も会えず、声すら聞けなかったというのに、クラピカの態度には寂しさなんか欠片も滲んではいなかった。レオリオに何も告げずに一ヵ月も離れた件に関しての、申し訳無さの類もない。
 なにしろこうしてレオリオが出迎えても、一ヵ月振りの再会を喜ぶどころか、用件を尋ねる始末だ。
「ったく、お前はよ……」
 久し振りに会えたんだしゆっくり話そうぜとか、そんなふうに言ったところで、どうせ情緒のない返事を返されるに決まっている。
 だからレオリオは、とりあえずとばかり、その細い体をひょいと横抱きにした。
「っレオリオ!?」
「あいにくと、用件とかはねーんだよ。だから、ちょっと抱かせろ」
「その順接の接続詞に意味はあるのか?」
「細かいことはいいだろ、こんな遅い時間じゃ誰かに見られることもねーしよ」
 抵抗するそぶりを見せながらも、クラピカは本気で暴れたりはしない。マフィアの若頭としての威厳に欠けすぎる、お姫様抱っこなんかをされているにもかかわらず。
 そんないつもどおりの遠回しな愛情表現に、レオリオは少しの満足を得る。甘い囁きに頬を染めるような分かりやすいギミックはないけれど、クラピカの想いはちゃんと、レオリオに向いているのだ。
 
 不満げにレオリオを睨み上げていたクラピカだったが、ふとその焦点が遠くへ向けられた。
 その茶色の瞳にキラキラと映るのが星のまたたきだと気付いて、レオリオもまた顔を上げる。
 
 ───客観的に判断すれば、その都会の星空は、シャッターを切りたくなるような特筆すべき美しさを持たなかった。
 ネオンの明かりや排気ガスに阻害された、クリアとは真逆の星空。
 なのに、そんな街中の星空に『綺麗だ』と見惚れてしまうとしたら、それは。
 ……愛しい相手が、すぐそばで、同じ星を見上げているからなのだろう。
 
 二人は思い出していた。
 好きだと気付いてしまったあの時も、こうして星空のした、抱いて、抱かれていたのだと。
 
『夜に書いた手紙は出すな』としばしば言われるように、夜は人を感情的にさせる時間だ。
 特に星空の下はいけない。まるで魔法をかけられたみたいに、浮ついたことを考えてしまう。
 
「お前、今日からは毎晩、オレの部屋で寝ろよ」
 目と目を合わせて、レオリオはそんな浮ついた提案をした。
「いちいち口実作ってオレの部屋に呼ぶのも面倒だしよ。毎晩オレの部屋で寝ろよ、お前の部屋まで徒歩数分だし別に不都合はねぇだろ?」
 用件もないのに、ただ一緒に過ごしたいからとデートを取り付けられる二人ではないから。理由もないのに、『これから一ヵ月会えない』とわざわざ申告する関係でもないから。
 だったらいっそ、会うことを毎晩の習慣にしてしまおうと、そんな浮ついた提案。そうすれば用件がない日も会えるし、『この期間は会えない』と伝える理由付けにもなる。
「断わる。お前の性欲に毎晩付き合えるほど、私は暇ではない」
「いや、泊まったからって毎晩ヤるわけじゃねーって! お前、オレのことなんだと……」
「前科がある」
 ぐっと黙ったレオリオに、「むしろ前科しかないと言うべきかな」とクラピカは畳み掛ける。
 確かに、部屋で会うたびクラピカをベッドに引き込んできたのは事実なのだが。
「そういうんじゃなくてだな……毎晩手ぇ繋いで寝るとか、それだけでいいんだって」
 もちろん、そういうムードになった際には遠慮なくヤらせて頂く予定だが、それはそれ。
「毎晩オレの部屋で寝るのに理由が必要なら、あれだ、ほら、手ぇ繋いで寝たほうがいい夢見られそうだからとか、そんなんでいいだろ?」
 思い返せば、レオリオはこれまで何度も、夢に魘されるクラピカの手を握ってやったものだった。
 手を握ってやれば、クラピカは落ち着いて眠れていた。そんな眠りを毎晩確実に提供できるというのは、一応の口実として機能するはずだとレオリオは思う。
 
 一方のクラピカは、突然の強引な提案に、呆れにも似た感情でいた。
 毎晩、一つのベッドで眠るだなんて。
 当然に浮かんだいくつもの拒絶の言葉は、けれどレオリオの背後でキラキラとまたたく星々に、すぅと吸われて消えていった。
 
『夜に書いた手紙は出すな』としばしば言われるように、夜は人を感情的にさせる時間だ。
 特に星空の下はいけない。まるで魔法をかけられたみたいに、浮ついたことを考えてしまう。
 
「……触れ合いによるオキシトシンの分泌は、睡眠の質を向上させるからな」
 だから合理的だと、そんな口上を述べて、クラピカはレオリオの提案を受け入れていた。
 
    *
 
 そんなこんなでレオリオの部屋に移動して、シャワーを浴びて、同じベッドに入って。
 一ヵ月振りに会えた二人がやることと言えば一つしかない───と思っていたレオリオは、ちっともそんなムードにならないまま照明が落とされた現実に、少々気落ちしていた。
 そりゃ毎晩ヤるわけじゃないと言ったのは本心だが、しかし今夜は明らかにそういう雰囲気だったわけで、やる気まんまんだったりしたわけで。
 ……けれど、隣で無防備に目を閉じるクラピカの顔を見ていると、まぁいいかと思ってしまうのもまた事実だ。
 同じベッドで、手を繋いで、眠りに落ちる。クラピカがそんな無防備な接触を許すのは、きっとこの世でレオリオだけだから。
 
「なあ、ぎゅーしてもいいか?」
「何故?」
「あれだよ、えーと、オキシトシンだっけか、あれは触れ合ってると分泌されるんだろ? 手だけじゃなくて全身でぎゅーってしたほうが、いっぱい分泌されるんじゃねぇ?」
 適当な理屈を捏ねてから、レオリオはその華奢な体を抱き締めた。
 向かい合い、クラピカの顔がレオリオの胸筋に埋もれるような格好だ。
「あー……一ヵ月振りのクラピカ分補給……」
 クラピカから許可の言葉は得ていないが、拒絶しないということは、構わないということだろう。
 レオリオは抱き締めたまま、その細身を両手で好き勝手に撫で回した。
 背中、腰。細すぎる体は柔らかさに乏しいが、確かな生き物の感触だからたまらない。
 プラチナブロンドに鼻を埋めてみれば、洗髪料のフローラルに混じるクラピカの匂い。その香りが脳髄に届いた瞬間、欲望がどくりと脈打ったが、そこはぐっと我慢だ。初日から手を出すようでは、明日からの逢瀬は絶望的だろう。
 
「……温かいな。お前の手は」
 やがて漏らされたのは、飾ることのない素直な感想。
「そういう無防備なこと言うんじゃねーよ。限界まで我慢してんだからよ」
 対抗するように、レオリオも素直な現状を訴える。
 本当はヤりたいのを、我慢しているのだと。
 きっとクラピカは『初日からそんなことでどうする』だとか、そんな呆れたような台詞を返すのだろうと、レオリオはそう思っていたのだが。
「お前こそ、こんな、……」
 返ってきたのはそんな要領を得ない台詞で、レオリオは首を傾げた。
「こんなって?」
「…………っ」
 ぐっと、睨むようにレオリオを見上げた瞳には、ありありとその答えが書かれていた。
 
 ───『お前の手で全身を撫で回されて、平気な私だと思うな』と。
 
 つまりはその瞳は欲情に潤み、緋色が滲みかけていたのだ。
 
 表情や態度にこそ出さないが、クラピカはレオリオのことが好きなので。
 とても、とても好きなので。
 一ヵ月間、電話にも出ず掛け直しもしなかったけれど、本当は───着信履歴を見るたびに、その温もりに焦がれてたまらなかったので。
 ベッドで抱き締められて撫で回されたりしたら、クラピカだって限界だったのだ。
 
 
 レオリオはその瞳を見るなり、勢い良くクラピカを組み敷いて、愛しい体を貪っていった。
 
 
 
 
 
「……明日の夜からは、手を繋ぐ以外を禁じる」
 抱き合った熱がゆっくりと引いていく頃、裸のままのその人が呟いた命令は、明日からも二人の夜を過ごすのだと示すもの。
 だからレオリオはまたひとつ、穏やかな口付けを贈ったのだった。