◆レオクラ小説『形状記憶の運命に』の幸せ番外編。後編の続きです。

 クラピカ、お疲れ様。
 って、ボクがこれを言うのは、もう何度目になるんだっけ?
「お疲れ様」以外にもっといい言葉があればいいんだけどね。「楽しかった?」なんてここで聞くわけにもいかないし。
 
 ああ、楽しかったかどうかなんて、ボクが振り返って確認するまでもないよね。
 奇跡みたいなラックまで味方に付けてクラピカを十二支んに引き入れちゃったあのサングラスの人が、ブラックホエール号でちょっと距離が離れたくらいで、クラピカのことを手放すわけがなかったんだから。
 
 
 ところでクラピカ、良いニュースと悪いニュースがあるんだ。どっちから聞きたい?
 ……え? 似合わない言い方するなって? そんなに似合わないかなぁ。
 
 良いニュースは、繰り返す運命は捻じ曲げられたってこと。
 悪いニュースは、捻じ曲げられた運命は繰り返すってこと。
 
 えーっと、だからね。
 ボクたちはちょっと、やりすぎちゃったみたい。
 何回も何回も、同じ時計の針ばかりをぐるぐる回したせいで、しばらくは慣性の回転が続くんだ。
 だから次の世界でもボクは十二歳で殺されちゃうし、サングラスの人の大事な友達も病気で……ってことになる。
 
 要は、未練と運命から解放されたら今度こそクラピカと世界を旅してみたいなんて、そんなカッコイイこと言っちゃったけど、それはもう少し先の話になりそうってこと。
 まあ、これまでの繰り返しを考えたら、あとほんの少しの話、エピローグという名の蛇足みたいなものだけどね。
 
 けど、クラピカがあのサングラスの人と出会ったその先の運命は、一度捻じ曲げられたから。
 きっとサングラスの人はこの先の世界でもずっと、何度でもクラピカを手繰り寄せて、放さないと思うよ。
 
 
 
 時計の針は巻き戻らない。
 別れたまま終わった二人は変えられない。
 ただ、これまでもそうだったけど、時計の針をぐるぐる繰り返すと、これは前に見たのとほとんど同じだなってくらいそっくり同じ世界をまた経験することになる。
 そして、そんなそっくり同じ世界で、この先サングラスの人はクラピカを手放さないわけだから───
 
 もしもこの運命の輪に観測者がいたら、
 
 まるで過去にタイムトラベルして、ENDをひとつずつ書き換えていくみたいに見えるかもね。
 
 
 
 
【最終章:何度でもお前を見つけてみせるから】
 
 
 
 
 ───それはどこかの、もの寂しい季節。
 
「クラピカ」
 不意に掛けられた声に、クラピカは振り返ることが出来なかった。
 
 そんな、馬鹿な。
 その男とは、もう二度と会わないはずだった。
 九月一日にラケスーンシティで再会する約束を反故にして、居場所を知られぬよう位置情報アプリを削除して、電話を無視して留守電機能を切りっぱなしにして、
 
 ただ、あの口付けで染められた左目の赤をよすがに、ここまで一人歩いてきたのに。
 
「ハンター試験合格おめでとう。って、もうずーっと前の話だけどな」
 背後から、コツコツと近付く足音。
 クラピカはやはり、振り返ることが出来なかった。
 
 ここは、何年も前に大学生であった二人が別れた空港だ。
 せわしなく行き交う人々でざわめく空港。
 旅立つ者、見送る者。別れを惜しむ者、数年越しの再会を喜ぶ者───そんな人々のひしめき合う昼の空港は、仮に待ち合わせをしていたって容易には相手を見付けられない混雑振りだ。
 それなのにクラピカの背後のその人は、まるでクラピカしか見えていないみたいに、ホールカットの革靴をコツコツと響かせて、ゆったりと近付いてくる。
 
「お前は? 言ってくんねーの? 留年なしで医大卒業アーンド医者の国際試験合格おめでとう、って」
 すぐ耳元で聞こえた、低い声。
 クラピカはついに、振り返る。
 目の前に、サングラスの男の懐かしい顔があった。
 もしも前世なんてものがあるのなら前世でも出会っていたいと思った、それほどの情を抱いた相手が、窓越しの太陽を背負い微笑っていた。
 
 男は、突然に連絡を絶ったクラピカを責めることもなければ、不義理を咎めることもなかった。
 ただ懐かしそうに目を細めて、次には楽しげに言うのだ。
「そうだ、お前に出されてた宿題、ちゃんと解けたんだぜ。あの数式、グラフに書くと……」
 
 
 
 
 
 ───それはどこかの、花の綻ぶ季節。
 
「じゃあまずは、服従の意思を見せてもらおうかな。自分で脱ぐか、我々に脱がされるか、それくらいは選ばせてあげるよ。どっちがいい?」
 男たちの下卑た視線に囲まれて、クラピカは自ら、黒のスーツのボタンに手をかけた。
 
 ベヌケス議員の私邸。
 花を売る程度なら安いものだと、クラピカは嫌悪する男のものにされることを選んだ。
 要求されるままに肌を晒し声を上げ、穿たれて揺さぶられて───そんなもので医者であるあの男の安全が保証されるのなら安いものだと。
 
 
 
 不意に、扉の向こうの廊下がバタバタと騒がしくなる。
 ゴシャリと何かの破壊音、殴られた男の呻き声、悲鳴じみた声。
 続けて、バコンと一際派手な音とともに、グレイジング塗装の高級な扉が吹き飛んだ。宙でくるくると回った扉は、敷き詰められた鳶色の絨毯に受け止められ、そのまま床に横たわる。
 
 驚きに目を瞠るクラピカの視線の先、扉を壊して現れたのは、もちろんサングラスのあの男だ。
 史上最年少となる八歳でハンター試験に合格、飛び級で医者の資格をも取得して、難病ハンター兼パラティヌス児童協会の会長として世界を駆ける、あの。
 
 男は、スーツを着たままの白百合がまだ何者にも踏み躙られていないことを確認し、ほっと息を吐いて。
 唯一の花の名を、ようやく発したのだった。
 
「クラピカ……」
 
 
 
 
 
 ───それはどこかの、陽の眩しい季節。
 
「クラピカッ!!」
 照りつける日光の中、歩道を駆ける男は、濃紺スーツにサングラス。
 呼ぶ声に振り向き、驚きに目を瞠った金髪のその人は、ロングスカート様の民族衣装を纏っている。
 
「クラピカ……!!」
 もう一度名を呼んで、男はクラピカを抱き締めた。
 
 医者になりたての元聖騎士と、鎖に違和感のない風貌に成長した元ヒロイン。
 かつて異世界の冒険で共有した幼さは、もう二人のどちらにも見当たらなかった。
 変わらないのはただ、体温、息遣い。
 そしていつかの遠い夜、子守唄に乗せた想い。
 
 
 
 
 
 ───それはどこかの、凍える風の季節。
 
「……クラピカ」
 温かな、けれど静かな渋い声。
 呼ばれたその人は、一つに結んだプラチナブロンドを揺らして、人形の如くしなやかに振り向いた。
 
 その男を見て、即座に貴族だと気付ける者は極僅かであろう。
 旅医者として動きやすさを優先した布地を纏うその男の外見からは、高貴な出自は感じ取れない。
 いや、男は唯一ひとつだけ、貴族どころか王族でなければ持ち得ぬ筈の稀有な宝石を身に着けていた。
 ───左手首の腕時計に嵌め込まれた、世にも稀な秘色の石。
 ルクタ国の王族が生涯の伴侶に贈る、一生に一粒の血の雫。
 
 
 
 
 
 
「……なぜ」と、いくつもの季節でクラピカは尋ねた。
「なぜ私を、見つけることが……?」
 
 そしていくつもの季節で、男は言うのだ。
 
「お前が心配してることは、なんも解決してねぇ。それでもオレは、お前を手放すのは嫌だった」
 
 命の危険に晒されたとしても、医者としての活動を妨害されたとしても、
 あるいはその他の、想像し得ぬどんな難題が待ち受けていたとしても。
 
「お前と離れていつまでも未練を引き摺るより、よっぽどいい」
 
 ……どこまでが運命のお膳立てなのかは分からない。
 出会いと別れが運命ならば、この再会までもが、もはや運命の御業に過ぎないのか。
 
 ただ、クラピカがそっと伸ばした、その震える指先の掴むのは、あらゆる困難を打ち据えてここへ現れた、クラピカにとってたったひとりの。
 
 
 
 
Fin.